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話し合いから「自分ごと」は生まれるのか

社会参画に能動的な市民を育成することを目的に、「主権者教育」が日本全国で広がり始めている。

 

若者の選挙離れが叫ばれるようになって久しいが、決して投票率向上のためだけではなく、複雑化する社会に対応した様々な社会参画の方法を学ぶ教育のかたちとして注目を集めているようだ。

社会問題を自分ごととして捉え、解決へと導く力をもった人材を育てることは、課題先進国である日本の未来にとって重要なテーマだといえる。

 

近年は、教育の現場でも「主権者教育」の導入に向けた動きが進んでいるそうだ。

文部科学省は15年の高校向けの通知で、教育現場が「現実の具体的な政治事象も取り扱う」として、若者を政治から遠ざけてきた戦後教育を転換した。意見や利害の対立を伴う政治を扱うに当たり「冷静な議論の過程が重要であることを理解させる指導を」と、生徒同士が異なる意見を受け入れた上で話し合う必要性を指摘する。

記事では、政治を自分ごととして捉えるためには生徒同士が異なる意見を受け入れ合い、話し合う必要性が指摘されている。

 

確かに様々な人と意見を交わすことは、新たな発見や気づきを得るチャンスといえる。自分の考えと反対の視点に立つことで、多角的にものごとを見ることができるようになる。

しかし、話し合いさえすれば、問題を自分ごととして捉えられるわけではない。新しい知識を得ること・深く知ることはできるかもしれないが、その先に自分ごとのアクションへと繋がるのかは少々疑問だ。

 

政治や社会問題を自分ごと化し、次に繋がる動きを生み出したいのであれば、話し合いの目標を設定し、話すこと自体がゴールにならないように心がける必要がある。

 

その話し合いは主体性を育むために本当に必要なのか。そう問い続ける姿勢を忘れないでいたい。

[参照サイト]

主権者教育、小中学校でも 身近な題材で考え話し合い(静岡新聞)

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