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演劇と話し合い

頭では相手を理解したいと思っていても、心から理解することがどうも難しい。そんな問題が私たちの社会には溢れている。自由で民主的な社会の獲得を目指し、人間が1人の「私」として生きようとするほどに、数多の異なる価値観が生まれ、世の中の当たり前は過去のものとなっていく。国籍やジェンダー、政治思想などの厚い壁を超えて、わかりあえない他者へと歩み寄ることはできるないのだろうか。
そのためのヒントとして、演劇から学べることがあると語るのが劇作家の平田オリザだ。彼は演劇のもつ力を借りることで、人々がバラバラのまま繋がることが可能になるという。演劇とは、自分ではない誰かのように振る舞うことが求められる仕事だ。私であることをやめられない人間が、限界まで他者へと接近する。そのためには、まず表面的にでも共有できそうな部分をみつけて、コンテクストをすりあわせていく稽古が行われる。無理に相手と同じ気持ちになろうとするのではなく、私の中に相手とのわずかな共通点を見出していく作業といえるかもしれない。平田はこの演劇の本質を、シンパシー(同情)からエンパシー(共感)へ、と表現する。

いじめられた子の気持ちに同化できるなら、そもそもいじめなんてしない。いじめる子には、いじめられた子の気持ちはわからないんです。でも、いじめる子も人から嫌なことをされた経験はあるはずです。そのときの気持ちと、共有できる部分を少しでもいいから見つけていく。それが重要な一歩になります。

これは、よい話し合いを志す人たちも学ぶべき姿勢であろう。私が私でしかない以上、わかりあえない他者を理解するには限界がある。価値観が多様化した社会のコミニケーションは、私と相手との重なりしろを探り出すところから出発するしかないのだ。
そう考えると、話し合いという原始的なコミニケーションツールがもつ冗長性には大きな意味があるように思えてくる。何度も脱線しながら進むまとまりのない話し合いは、案外私たちの素の部分を引きだしてくれるものだ。取り繕った言葉や主張を脇に置くことで、私は「私」から一時的に自由になれる。「よい話し合い」を考えるならば、相手を説得する言葉を磨く前に、まずはゆるいおしゃべりの価値について考えてみることが大切かもしれない。

平田オリザ(ひらたおりざ)

劇作家・演出家、大阪大学コミュニケーションデザイン・センター教授、四国学院大学客員教授・学長特別補佐、劇団「青年団」主宰、こまばアゴラ劇場芸術監督。1962年生まれ。1995年『東京ノート』で第39回岸田國士戯曲賞、2003年『その河をこえて、五月』で第2回朝日舞台芸術賞グランプリ受賞。フランスを中心に世界各国で作品が上演・出版されている。著書に『演劇入門』『わかりあえないことから』(以上講談社新書)、『幕が上がる』(講談社)等。ドキュメンタリー映画『演劇1,2』も公開中。

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