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異なるものをつなぐ「話し合い」の可能性

龍谷大学政策学部は2020年で設立10周年を迎えました。様々な現場で活躍する卒業生も増えてきたこの節目のタイミングで、チーム政策が大切にする価値観を多くの人に共有する場所をつくりたいと思い、「ディスカッションメディア syn」をリリースしました。

 

synは、チーム政策が掲げてきた「つなぐ・ひきだす」という価値観や先生方が研究されている「政策学」を起点に、どんな人にも関係しているであろう普遍的な物事についてじっくりと考え、話し合うためのメディアです。

 

大きな特徴は、年間に扱うテーマを1つに絞ること。参加者の声を反映させながら、様々な角度から答えのない問いを1年かけて考え続けてみる実験です。初年度はsyn自身の価値を考えたいとの思いから、「よい話し合いとは」をテーマに設定しています。

 

記念すべき初回のインタビューは、社会言語学を専門とされている龍谷大学の村田和代先生です。

「話し合い」のもつ価値や、この時代に話し合いを問うことの意義についてお話を伺いました。

話し合いとは「聴き合い」である

村田 そもそも話し合いとは何なのかを定義してみると、「複数の参加者が集まり、意思決定や意見交換など、共通の社会的な目的のために意見や思いを表明し、交換するコミュニケーション」といえます。
もともと私は話し合いを、何らかの合意形成をする、意見交換をする、情報交換をするツールと考えてきました。しかし、実際の現場の中で人々が話し合いを通して変化し、徐々にコミュニティや地域が変わっていくという様子をみて、話し合いは単なる合意形成や情報交換のツールではないことに気づいたんです。そこから、話し合いにはどんな付加価値があるのかということをずっと考えてきたのですが、今は大きくわけて3つの可能性があるのではないかと考えています。

 

 1つ目が、教育や人材育成に非常に役立つということ。とりわけ現代では、情報を得る、技術を得るという学びだけではなく、いわゆる社会人基礎力という汎用的な能力が必要です。つまり、知識獲得重視から、獲得した知識を実社会でどんなふうに応用していくのかといった能力が求められてきます。そういう文脈の中で非常に重視されているアクティブラーニングは、主体的、対話的で深い学びを得るための重要な概念とされています。
人が変わる、学ぶという条件の中で私自身が一番着目していることは、価値観や年代、あるいは所属など、何か異なる人との話し合いの中で人は大きな変化をしていくのではないかということです。その変化を支えるのが対話や話し合いだと思います。

 

 2つ目に、イノベーションや組織、コミュニティの活性化を起こす触媒としての機能です。話し合いの実践をとおして得られた個人の学びは、個人に閉じられるものではなく、複数名からなる話し合いのチーム、さらには複数のチームからなるコミュニティや組織へと開かれていきます。最近では異なるセクターの組織が、組織の壁を越えてお互いの強みを出し合い、社会的課題の解決を目指すアプローチであるコレクティブインパクトが着目されています。そのイノベーション、課題解決を起こすときにも対話、話し合いが非常に大きな役割を担うと思っています。

 

 3つ目が社会的包摂の場として可能性です。これから日本社会では子どもの数が減り、超高齢化社会を迎えます。また、政府は移民政策をとっているとは言いませんが、現実には多くの在留外国人の方が日本にいらっしゃいます。そのような状況ではなにかをきっかけに分断が起こってしまう可能性が高い。そのような問題を乗り越えるためには、やはり直接話すことが重要ではないかと考えています。先ほど異なる人との対話で人は変わると言いましたが、いわゆるマイノリティ、社会的弱者の人たちとの直接的な話し合いの場こそが、最も分断を越える可能性が大きいのではないかと思います。

 

−社会のグローバル化や多様化に伴って、異なるものを繋ぐ話し合いの価値が高まってきたと。

 

村田 そうです。そして、以上の話し合いの3つの可能性に加えて考えなければいけないのは、話し合いはただ単に野放しに「ではやってくださいね」というかたちでは大きな効果が得られないということ。話し合いの場はデザインする必要があるのです。どういうプロセスでどんな人たちが集まるのかを、前もって設計することが非常に重要です。

 

−いわゆるファシリテーターが担う役割ですね。確かに、話し合いの可能性は環境によって大きく左右されるように感じます。

 

 また、「話し合い」という言葉をずっと使っていますが、実は最も大事なことはお互いに聴く、聴き合いということではないかと思っています。synでは「共話」という概念を重要視していらっしゃるそうですね。要は対話、話し合う場でお互いが歩み寄るということですよね。歩み寄るためには、やはり「聴く」ことが、実は一番重要なのではないかと考えています。

 

−なるほど。最近はSNSやニュース番組をみていても、異なる思想をもった人たちの対立や摩擦によって生まれる問題があまりに多すぎますよね。そういった例は、そもそも話し合いが放棄されてしまっているようにも思います。先ほど「聴くこと」の重要性についてのお話もありましたが、人間はどうしても話すことが優位になってしまい、聞くことをおろそかにしてしまう。「小学生のなりたい職業ランキング1位がYoutuber」なんて話を聞いたことがありますが、今の時代はうまく話せることの価値がこれまで以上に高まっています。もちろんそれも大切なんですが、まずは聞くことにいったん立ち戻ることで「話し合い」を考え直してみたいと思います。聞くことの重要性については、昔から活発な議論がされていたのでしょうか。

 

村田 社会言語学やコミュニケーション研究の中ではあまり重視されてこなかったといえます。コミュニケーションという言葉は、もともと「伝達能力」として翻訳されていましたが、90年代以降になってから「相互行為」と訳されるようになりました。研究の方法としても、音声や動画を簡単に収録できるようになったことで、生の人間の相互行為のデータ分析が容易になり、実は聞くということが非常に重要なのではないかという議論が始まったという状況です。

 

 ちなみに龍谷大学政策学部では2年生全員にコミュニケーションワークショップ演習を受講してもらっています。その中で、ただ単に話し合いを繰り返して話し合い能力を身に着けるのではなく、人の話し合いを観察するというプロセスをとりいれています。一般的に「コミュニケーション」というと、コミュニケーションの内容、つまり何を発言したかというコンテンツに意識が向くと思いますが、大切なのはそこではありません。コミュニケーションワークショップ演習では「何を言ったか」ではなくて、「話し合いの場がどのように変化したか」、「どういう言語行動がとられていたか」という、「どのように」の部分に着目してもらいます。

 

−いかにコミニケーションをうまく回すかという技術論の前に、話し合いの場に臨む姿勢を学ぶんですね。

 

村田 何人もの受講生が、「就活の面接でグループディスカッションをしたときに、まず相手の話を受け止めて、そのうえで自分の意見を言うことを意識した」「話し合いの授業で聞くことの大切さを学んだ」と感想を述べてくれています。やはり話し合いの能力を身につけることは、聞く力を身につけることでもあるんです。参加者にはスポーツマンシップならぬパーティシパントシップ(参加者精神)身につけてほしいと思っています。

 

-文化人類学者の川田順造さんは『口頭伝承論』という本の中で「聞き手はまったくの受動者ではなく、同時に『潜在的な話し手』である」と書かれています。聞くという行為はいっけん静的にみえるけれど、あいづちを打ったり頷いたりもする。これは動的なコミニケーションですよね。

 

村田 そうなんですよ。だから会話は相互行為なのです。1人が話者なわけではないですよね。1人がボールを投げたときに、そのボールを返してくれるというキャッチボールでコミュニケーションは成り立っているわけですから、話し手は聞き手であり、聞き手は話し手であると理解することが、話し合いにとってすごく重要なんです。

 

−当たり前の話ですが、「聞く」と「話す」が両立しないと「話し合い」は成り立たないわけですね。「話」はコミニケーションの道具であると同時に、認識の道具でもある。かつて柳田国男は「話」という談話の技術を、衣・食・住の技術に加えて「第四番目の生活技術」だといいましたが、そこには「聞く」ことに対する意識が含まれていないといけない。

 

村田 私自身は、話し合いが市民性教育に含まれるべきものだと思っています。小学校や中学校の段階で、話し合いが民主主義のツールであるということ、それには聞くことが重要であるということ、そして異なる人と対話することの重要性をきちんと学べば、もう少し世の中が良い方向へ変わっていくのではないでしょうか。

 

-教室の中だけで話し合いを学んでいる間は、やはり技術を得ることが大切だと捉えてしまうように思います。例えば、話し合いの場面をいかに円滑に回すか、ワークショップはどのような手順で進行するのかなど。でも実際に社会にでてみると、環境の整った話し合いの場面なんてそうそう存在しません。人は様々な場面でのコミニケーションを経験し、自分とは決定的に違う他者の存在を意識することで、分かり合えないものとどう向き合うかを初めて考えるようになる。私たちは生きていく中で、話し合いの価値に何度も気づきなおしていくのかもしれません。

 

村田 話し合いは万能薬ではないから分かり合えないこともたくさんあるのだけれども、まずは話してみようというスタンスは捨てたくないですよね。

オンラインでの話し合いに欠けているもの

−村田先生は、学問の壁を超えた「話し合い学」を構築しようとされていますよね。今後、どのように話し合いを探究されていくのでしょうか。

 

村田 実社会で行われている話し合いというものを研究するにあたって、いろいろな層があるだろうと思っています。私はミクロ・メゾ・マクロでとらえることができるのと考えています。
ミクロというのは、例えば単体の話し合いの中でどのような発話がなされていて、どういう効果があるか、そこにどのような心理的な作用が働くかといった、言語学や心理学などから研究ができるものです。
マクロというのは概念や社会システムです。例えば民主主義、熟議、話し合いを埋め込む政策で、政治学などの研究だろうと思ってとらえています。
メゾというのはいわゆる現場研究ですよね。社会学や政策学、組織論からとらえることができます。このように様々な領域や分野をまたいだ研究なので、ずいぶんといろいろな人と出会うことができましたね。

 

−研究対象にあわせて、異なる学問領域の人たちと連携する実践型研究といった理解でよろしいでしょうか。

 

村田 そうですね。もちろん目標は社会的な課題を解決できるような研究を生み出せればいいなと思っています。それが広くは人材育成であったり、実際の課題解決であったり、あるいはイノベーションであったり、対象範囲は結構広いとは思います。私は言語学の人間なので、実際に話し合いの現場を収録させてもらい、その談話分析に取り組んでいます。

 

−話し合い学は広いテーマを対象としているんですね。ディスカッションメディアを掲げるsynは、オンランでの話し合いの場づくりを通して、ユーザーに他者と共に学ぶ姿勢を養ってもらいたいという思いがあります。そのためにも、オンラインでよい話し合いが生まれる方法を考えていきたいと思っていて。例えば、敬語を必須にする、匿名参加を認めない、という条件設定だけでも人のふるまいやコミュニケーションはかたくなってしまいますよね。この辺りのバランスが難しいなと感じています。

 

村田 そうですね、オンライン特有の問題もあると思います。例えば実際の話し合いの場合は、横に座って雑談したり、席を外してちょこっとお話しすることもできますよね。要するに、オンステージとオフステージが両方ある。チャットでの真面目な話し合いの中にうまく息抜きや遊びの要素をいれていくのは大切かもしれません。

 

-確かにそうですね。そういえば、村田先生は雑談についても研究されていますよね。

 

村田 雑談は機械のオイルのようなものです。例えばZoomで20人と喋るとすごく疲れますよね。横の人とちょこっと喋ることもできないですし。話し合いの場面でも、最初にアイスブレイクを行うことや、少し脇道に逸れることはすごく大切です。雑談は人と人との関係性を構築するためのものなので、大事にしなければいけません。

 

−synは、言語学の領域では有名な「共話」をコンセプトに掲げています。「共話」とは、話し手と聞き手が一体になって話し合いを進めていくような日本語会話に特徴的な話し方を指します。話をする主体が明確に区別されている対話と違って、両者の主体性が交わって曖昧になります。自らの考えを順に伝えあう「対話」も非常に重要ですが、ポジショントークや自分本位のおしゃべりに陥らないためにも、他者と共に在ることの価値を捉えなおせる「共話」の空間をつくりたいと思っています。

 

村田 「ここで発言しても大丈夫だ」という安心感がなかったら、人は発言できません。例えばまちづくりの話し合いでも、皆さんが自己紹介を短くすればいいだけなのに、限られている時間の中で30分も40分も自己紹介を行ったり、アイスブレイクに時間が使われたりするというのは、皆が「ここで話しても大丈夫だ」と思える環境を作るためです。まだ私もオンライン上での話し合いがどのようになるかという分析はしたことがないのですが、そういうことをスポッと抜いて、「では話し合いましょう!」と言ったときに、チャットでの話し合いがどんなふうになるのかすごく興味がありますね。

 

−話し合いが予想外の方向へ進んだり、掛け合いから新しい気づきが生まれたりと、余白や剰余の部分から思わぬ価値が生まれるのが雑談のいいところですよね。最低限のルールは決めた上で、偶然性に開かれた話し合いの空間をつくっていけるといいなと思っています。

欲望と理性のはざまに生まれる「話し合い」の場所

−新型コロナウイルスの影響で人々が集まるリスクが高まった結果、オンラインでの話し合いがこれまで以上に身近になりました。このように話し合いの環境が大きく変化した2020年は、「話し合い」の価値を問い直すよいタイミングかもしれません

 

村田 三人寄れば文殊の知恵という言葉がありますよね。1人で考えても思考が止まるし、2人だと堂々巡りするけれども、3人になると立体的になります。私たちは昨今誰も出会ったことのないような多くの問題に直面していますよね。誰も正しい答えが分からない、前例がなくてどうしていいのか分からない、こういう状況のときには、いろいろな人と一緒に考えることが人間にとって最も懸命ではないかと思います。例えばオンラインでいろいろな人が力を寄せ合って、今直面しているコロナ禍を考えることもその1つです。

 

−zoomなどのオンライン会議ツールに代表されるように、私たちが話し合いやすい環境はどんどん整備されています。しかしSNSをみていると、多くの人が軽い気持ちで誹謗中傷に加担していたり、協力なリーダーが紋切り型の言葉で大衆を扇動したりと、低コストかつ暴力的な「語り」の力によって世界の分断が加速しているように思います。話し合いをデザインするファシリテーターがいない非設計の場では、そもそも話し合いは不可能なのでしょうか。

 

村田 そうですね・・。世の中は理想的な環境ばかりではないですものね。例えば会社の中で自分の立場から言いたいことが言えないことも当然ありますし、政治の世界だってそうですよね。だから誰もが平等な立場でどんな話し合いにでも参加できるかというと、そうではないのが現実だと思います。

 

−話すことの快楽が肥大し、聞くことが半ば放棄されているのが世の中の大きなモードです。だとすると、設計された場で話し合いの価値を啓蒙していくと同時に、普段の私たちの日常にも話し合いの作法を埋め込んでいくことができればいいなと思うのですが。

 

村田 それこそ、synというメディアから話し合いの重要性を認識してくれる人を少しでも広げていくということがよいのかなと思います。教育の中でもアクティブラーニングが注目されているので、もっと話し合いというものが重要視されればいいなと思っています。とはいえ、さっきおっしゃったようにSNSという場は誰でもインフルエンサーになれるわけで、そこで重要とされるのは「発信」です。ともすれば相手のことを慮る、聞くということを育成できる場ではないという気はしますよね。

 

−synではDiscordというチャットアプリを使って1つのテーマについて1年間話し合うのですが、それはものごとをじっくり考えるためには独立した場所を持たないと人の姿勢が変わらないと思っているからです。「話す」ではなく、「話し合い」をするためには、即時的な反応のみが要求される場所から身をひかないといけない。ただ、それがうまくいくとよいのですが、その場所にどのように関心を持ってもらうかも重要です。つまり話し合いにどう価値を見出してもらうかということですが、そこで大切なのは話し合いによって生まれるポジティブな体験ではないかなあとぼんやり思っているのですが・・。

 

村田 人間の承認欲求はどうしようも変えられないですよね。自分を認めてもらいたいとか、そういうものを満たすことができるのが現代のSNSだからこそ、こんなにも流行しているのでしょうね。人間の欲望と理性のバランスをとる環境づくりが大切ではないでしょうか。

 

−なるほど。欲望と理性を架橋する技術や、その適切なタイミングを考えるのは大切かもしれませんね。人間は基本的に楽で簡単な方向に流されてしまうのだけれど、まじめに物事を考えたくなる時や、人に話を聞いてみたい時が誰しも必ずあると思っています。そういう時こそ、話し合いの価値が伝わるチャンスなのかもしれないですね。

 

村田 その人の特質や置かれている状況などによってバラバラでしょうね。私は大学を卒業したあと一度働いていてから大学院に戻ったのですが、その時初めて学ぶことが楽しいと感じました。それは私が1回社会に出て、いろいろな挫折をしたからこそだと思います。人間が理性的に戻る、ものごとをじっくり考えたいなと思うタイミングは、困難にぶち当たるときもあるだろうし、すごく尊敬する人に会うときもあるだろうし、あるいは恋愛相手からすごく影響を受けることもあるだろうし。今のコロナ禍の状況は、一度立ち止まって考えるには非常にいい機会かもしれません。ツールではなく、目的として「話し合い」を見つめ直してみてほしいと思います。

村田 和代 (むらた かずよ)

奈良県橿原市出身。ニュージーランド国立ヴィクトリア大学大学院言語学科PhD (言語学)龍谷大学政策学部教授。現在、龍谷大学グローバル教育推進センター長、龍谷大学地域公共人材・政策開発リサーチセンター長を務める。専門は、社会言語学、異文化間コミュニケーション、人材育成論。人にやさしいコミュニケーションのエッセンス探求をめざしている。政策学部着任以来、市民参加型の話し合いや、異なる他者との話し合いを通した学びについての研究や、学際的アプローチによる『話し合い学』の構築に取り組んでいる。

(主著・主論文) An empirical cross-cultural study of humour in business meetings in New Zealand and Japan, Journal of Pragmatics. (Elsevier, 2014).『雑談の美学』(ひつじ書房 2016)、『市民参加の話し合いを考える』(シリーズ『話し合い学をつくる 』第1巻、2017)『話し合い研究の多様性を考える』(第2巻、2018)『これからの話し合いを考えよう』(シリーズ『話し合い学をつくる 』第3巻、2020、ひつじ書房)

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